手掌多汗症だった私がETS手術を受けた理由と手のひらに汗をかく辛さ

まず、私が患っていた手掌多汗症と現在に至る経緯について、簡単にお話します。

はじめに手掌多汗症(しゅしょうたかんしょう)とは、日常生活を送るうえで多くの不都合をもたらすほど手のひらに発汗してしまい、ひどい場合には治療を必要とする疾患のことです。

手のひらから大量の汗が出るため、「手を勢いよく振ると汗が飛び散る」「プリントやノートを濡らしてしまう」「人と握手ができない、手が握れない」「手が滑って物を落としやすい」などなど、日常生活に多大な支障をきたします。

治療を受け始めるのは10代~30代の人が多いらしいのですが、本人には意識できない幼少期から発症するケースが多くあるようです。

私も恐らく幼少期の発症です。

幼い頃に発症したとして、手掌多汗症は本人にとって本当に辛い状態なのですが、親や周囲の人に相談しても手のひらに大量の汗をかくことを病気だとは捉えてくれず、ただの「汗っかき」で片付けたり、「腋臭(ワキガ)と同じもしくは類似の体質」だと考える人も少なくないため、おかげで本人は必要な治療を受けることができず、症状に悩み、日々の生活に苦しみながら成長していくケースが多いようです。

しかし現代医療においても原因がはっきりとしておらず、発症に男女差なども認められていないとのこと。

とても厄介な病気ですね。

私の場合手のひらに異常な汗をかく以外、例えば顔だったりワキだったり足の裏だったりは人並み程度の汗をかく程度でした。

本当に手のひらだけなんですね、冬でも大量の汗をかくのは。

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自分が手掌多汗症だと気付いたきっかけ

私が初めて手掌多汗症の症状に気付いたのは小学校低学年頃でしょうか、物心がついた頃にはすでに手汗がひどかった思い出があります。

ある日友人とテレビゲームをしていて、ひとつのコントローラーを交互に使いまわしていたところ、「なんでコントローラーが濡れてるの?」と聞かれ、とても恥ずかしい思いをしたと共に、その時になって初めて、私も「なんでだろう?」と手のひらにかく汗を気にしだしました。

その時の友人に悪気があったわけではなく、ただコントローラーがなぜ濡れているのかが本当に不思議で気になったのでしょう。

私はそれまでコントローラーが手汗で濡れることを知ってはいましたが、それが特別なことだとは思っておらず、一人の時はティッシュで手汗を拭き取りながらゲームをしていたんです。

当時の私は当然のように多汗症なんて言葉は知りませんし、それが病気なんだと知るのはまだまだ先の話です。

ただなんとなく、「自分は人とは違うんだ」と認識したのがその頃でした。

手の平に大量の汗をかくことで生じる支障

後述しますが、現在33歳の私が手掌多汗症だった期間は物心がついた頃~23歳までです。

その中で特に辛かったことをいくつか書いてみます。

手汗とプラモデル

小さい頃、プラモデルを作るのが好きでした。

ガンプラはもちろんですが、当時は第二次ミニ四駆ブームの真っ只中です。

出来上がったものは飾るではなく、「組み立てる」という行為が特に好きでした。

しかし、プラモデルを組み立てるという行為にはとても細かい作業を要しますが、集中するせいか大量の汗を手のひらにかいていました。

そしてその手汗は塩分を含むのか、使う工具(ニッパーやカッター)の刃を錆びさせました。

プラモデルがある程度組み上がったら仕上げにシールを貼るのですが、びちゃびちゃのプラモデルにシールは張り付きませんでした。

最初は真っ白で綺麗だったはずのプラモデルは手掌多汗症の私が組み立てると、所々に汗が乾いてできた薄茶色の汚れが付着していました。

手汗とゲームボーイ

これも私が小さい頃ですが、当時みんなが持っていたゲームボーイのソフトで初代ポケモンのブームがありました。

今では「ゲームボーイ」と聞いて、どれだけの人が初代ゲームボーイを思い出せるでしょうか?自分で書いていて懐かしい響きです。

その初代ゲームボーイですが、さすが初代なだけあって現在のゲーム機に比べるととても重たく、当時の幼い私は両手でしっかり本体を握ってゲームをします。

そうすると、すぐにゲームボーイの下半分がびちゃびちゃになります。

ゲームをしている途中で人から「ちょっと貸して」なんて言われた日には、「どう言えば人にさわられるのを阻止できるか」ということばっかり考えていました。

あとは本体とボタンの隙間、ボタンに掘り込まれたAとBの文字の溝が茶色い汗の跡ですぐに汚れてしまいます。

手汗と図工の授業

小学生時代、図工が一番好きな教科でした。

何かを作ったり考えたりするのが楽しかったんでしょうね、自分で言うのもなんですが手先も器用な方だったと思いますし、成績表はいつも満点でした。

しかし、図工の授業には、「作ったものを先生に提出する」必要があります。

私が作って提出したティッシュ箱を改造した虫カゴや、大きな画用紙で折った巨大紙飛行機はふにゃふにゃでした。

版画が一番の曲者で、考えた柄を彫り終えた木の板は、私のものだけ全体的に湿り色が変わっていました。

それと、版画で使った彫刻等の刃は汗に含まれる塩分からか、すぐに錆びていました。

先生には特に何も言われたことがなかったので、分かってくれていたのかもしれませんね。

手汗と理科の授業

理科の授業で学んだことは恥ずかしながらほとんど覚えていませんが、嫌だったことだけはしっかりと記憶にあります。

アサガオの種を植える時に土をさわる必要があったのですが、大量に汗をかいた手で掴んだ土は簡単には落ちてくれず、手のひらにこびりつきました。

というより粉状のものをさわる場合は全て、手のひらにこびりついてしまいます。

プレパラートとかビーカーとか、とにかく複数人で使いまわすガラス製品にさわって手汗をつけてしまうことが嫌で仕方ありませんでした。

リトマス紙なんて手で持つだけで濡らしてしまいました。

手汗と漢字の練習

小学生の頃は漢字の練習帳なるものがありましたが、大抵のものはページの右上から縦書きで、一行書き終わると左横に一列ずつ移動していく書き方になると思います。

右利きで手掌多汗症の私がその漢字の練習帳で漢字の練習をするとどうなるのか、想像するとお分かりいただけるでしょう。

そうなんです、手にかいた汗のせいで鉛筆で書いた漢字達がにじみ、ページが全体的に黒くなり、書いた手の小指の下側面(小指球)が真っ黒になります。

縦書きのもので習字だけは小指球が紙に触れることがないので良かったのですが、習字以外では総じて同じようになりますので、とにかく縦書きのもの全般が嫌いでした。

今でも可能な限り文章は横書きで書くのですが、これはその頃の嫌な思い出が原因です。

手汗とプリントを配ること

教科書はいいんです。ノートもいいんです。

どちらも手汗で濡れてふにゃふにゃになりますが、それらは自分だけのものなので特に支障は感じませんでした。

ただ、プリントだけは違います。

私が学生の頃、大抵のプリントは最前列から後ろに後ろにと手渡しで配られてきました。

自分が最後列の場合を除き、数枚のプリントを前列の人間から受け取り、そして自分の後列の人間へと受け渡す必要があります。

プリントを受け取る直前までズボンで可能な限り手にかいた汗を拭い、そうして受け取ったプリントは後列に光の速さで受け渡す、こういった技術を身につける必要がありました。

手汗と鉄棒の授業

体育の授業で必ずと言っていいほど通る道、それが鉄棒です。

これは嫌だったというより、本当に危険だったと思います。

手に汗をかいているのでとにかく手が滑ります。

逆上がりの途中で鉄棒から手が滑って落ちたことがありますが、手に汗をかくことを恥ずかしいと思って隠すのではなく、安全第一で手に砂でもまぶしてから臨めば良かったと今では思います。

登り棒とウンテイも鉄棒と同様に、手汗で滑ってしまうため苦手でした。

手汗と楽器

学校の授業で色んな楽器をさわる機会がありましたが、ほとんどの楽器は手掌多汗症とは相性が良くないように思います。

ピアノは鍵盤が、ハーモニカは本体が、打楽器はスティックが濡れてしまいます。

中学生の頃にGLAYというバンドが流行り、みんながギターやベースをやり始めるタイミングで私もギターを始めたのですが、ギターのネックは手汗で変色し、弦はやはり汗に含まれる塩分ですぐに錆びてしまいました。

2万円ぐらいだったかな?中学生にとってはとても高価な代物でしたが、上記の理由からすぐにさわらなくなりました。

手汗と手を握ること

家族と手を繋ぐ、友人と握手をする、運動会のフォークダンスで手を掴む、部活の試合中にチームメイトとハイタッチをする、恋人ができれば手を握る。

日常生活を送るうえで、人と手を触れる機会は結構たくさんあります。

そういった場合、手掌多汗症の人がとる方法は2つあります。

  1. 「僕(私)は今手が汗で濡れてるから」と勇気を出してカミングアウトし、相手に判断を委ねる。
  2. とにかく手を触れなくていいように言い訳を考える、又はそういう行動をとる。

私は圧倒的に2番なのですが、これがなかなか大変でした。

家族はまだ良いんですが、友人に握手を求められれば私の手の甲を相手の手の甲に押し当てて「我が家の握手はこうだ」と言っておどけてみたり、運動会ではフォークダンスの時間になると保健室へ駆け込み、部活の試合中にハイタッチを求められればハグをすることで高揚感を損なうことなく手をさわられることを防ぎ、恋人ができれば硬派を気取って手を繋ぐことをしない。

今思えば手のひらの多汗症を患っている中で一番きつかったのが、人と直接手をふれるということだったかもしれません。

20歳を過ぎて通院をはじめる

思春期という多感な時期を手掌多汗症とともに過ごしましたが、社会に出ると手に大量の汗をかくことが仕事に支障をきたす、という壁にぶつかりました。

ちなみに私の手掌多汗症グレードは2です。

この頃、工場で小さな部品を組立てるという仕事をしていました。

基本的にはビニール手袋を両手に装着しての作業だったので、製品に手汗が付着するということはなかったのですが、長時間ビニール手袋をはめていると手がふやけてきます。

製品によっては手袋不可のものもあたったのですが、その場合は両手に制汗スプレーをまめにふいたり、手を冷やす為のアイスノンを傍に置いていたり、何度も手を洗いに行ったりしてなんとかこなしていました。

ただ、それは本当に大変でした。

そうしたことが段々と苦痛になってきて、手の汗をなんとかできないものかと20歳を過ぎる頃からようやく病院に通いはじめ、そこから勧められるいくつかの治療法を試してみます。

「手掌多汗症」という言葉は、この時通院していた皮膚科の先生に教えてもらって初めて知りましたっけね。

この病院の先生はとても良い人で、私が生まれてはじめて肉親以外に自分が手のひらに汗をかくことを話したのがこの先生だったのですが、先生は優しく「一緒に治しましょうね」と言ってくれて、それまで一人で抱え込んでいた辛かった思いが一気に込み上げてきて、診察室で大粒の涙を流したことを今でも覚えています。

ただ、残念ながら受けた治療の中で、私の手掌多汗症に対して効果的なものと出会うことはできませんでした。

どんな治療を受けたのか、それは追々書いていきたいと思います。

23歳でETS手術を受ける

皮膚科に加えていくつかの病院で治療を受けましたが、それでも症状が改善しないことからついに、23歳でETS手術を受けました。

私の受けたETS手術についても今後詳しく書いていきますが、ここでこれまでの長きに渡る、私と手掌多汗症との闘いに終止符が打たれたのです。

しかし現在33歳となり、手術をしてからこれまでの10年間は、手掌多汗症を手術したことによる副作用である代償性発汗との戦いの日々を送っています。

手掌多汗症はかなり辛かったのですが、代償性発汗にも別の辛さがあります。

なかなか全部はうまくいかないものですね。

私は専門家ではないので詳しくは語れませんが、「多汗症」「ETS手術」「代償性発汗」について、自分が実際に経験したからこそ分かる「不都合」や「悩み」や「対策方法」などを、これから本ブログ「多汗症ラボ.com」に書き綴っていきたいと思います。

そして今後書いていくこのブログが少しでも、どこかで私と同じように手掌多汗症や代償性発汗で悩む誰かのご参考になるようでしたら幸いです。

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